産カン北海道

日本産業カウンセラー協会北海道支部の会員、養成講座受講の方々の交流の場

【産カン川田の旭川通信】第4回 「『オプションB』を読む」

 

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こんにちは!!

旭川在住の産カン川田です。

 

 

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川田さん、こんにちは!!

前回の旭川通信は5月22日でしたが、産業カウンセラー協会全国研究大会があった関係から僕も忙しくて…ちょっとお久しぶりになってしまいました。

 

 

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今回が4回目になりますが、よろしくおねがいします。

 

 

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はぃ、こちらこそよろしくお願いします!!

 

 

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全国研究大会って、セキカワさんは参加されたのですね??

 

 

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はぃ、スタッフとして参加したのです。

初日の夜にサッポロビール園で開催された交流会の企画を担当しました。

 

 

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そうなんですね。

私は仕事の関係で事前にスケジュールを確保するのが難しくて、なにも参加できませんでした。

ボランティアとして大会をサポートすることはもちろん、一人の参加者として倉本聰さんの講演を聞くことすらできませんでした。

 

 

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あっ、実は僕も基調講演は聴講できませんでした…。

とても興味深いお話しだったようですよ。

 

 

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その後の支部の研修などで集まるときに、「全国大会、お疲れ様でした!」みたいな会話が繰り広げられたのですが、何一つ参加していない私は強い疎外感を感じてしまいました。

参加できなくても、支部の会員でいてもいいんですよね?大丈夫ですよね?と少し心配な気持ちになってしまいました。

 

 

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北海道開催だったので北海道の方の参加は多かったようですけれど、ご予定もあって参加できない方もたくさんいらっしゃったみたいですね。

 

 

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ですよねきっと…。

 

ところで。

 

 

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はぃ。

 

 

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先日このコラムで、旭川で7月下旬に開催される「上川神社祭」というお祭りの出店が今年から中止になってしまうとお伝えしていましたが、関係各位のご努力により無事に場所を変えて常磐公園で開催されることになったそうです。

 

 

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ほぉ~よかったですね!!

 

 

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やはり市民の熱い支持があるイベントは復活するんですね!!

私は父の日に娘夫婦から甚平をプレゼントしてもらったので、それを着てお祭りに行ってみようと思いました。

 

 

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甚平!!シブい!!

ぜひ着たときの写真を送ってください!!

ブログを通じてみなさんに見てもらいましょう!!

 

 

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リョーカイです!!

 

さてさて。

4月から「オプションB」という本を題材にして勉強していますが、今回はその第2章を取り上げます。

心に響いたところをピックアップしますね。

 

「デーブが亡くなったばかりの頃、友人に会っても『どうしてる?』と聞いてもらえないとショックだった。はじめてのとき、これがあの『尋ねない友人』なのね、と思ったものである」In the early weeks after Dave died, I was so shocked when I'd see friends who did not ask how I was doing. The first time it happened, I thought I was dealing with a non-quesion-asking friend.  (43P)

 

 

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尋ねない友人 ( non-question-asking friend ) 」という言葉はちょっとさびしい響きがありますね。

 

 

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普段は何でも話し合っていても、友人が肉親の死や不治の病などの逆境や人生の試練のような事態に陥っているときは、そのことを話題にしないことが多いようです。

 

 

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あ、そうか…逆に話題にしないことがシェリルを傷つけた…。

 

 

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シェリルはこう書き続けます。

「気にかけていなかったのではない。つらいことを思い出させて落ち込ませたくなかったのだ」I had failed to ask him directly about his health not because I didn't care, but because I was worried about upsetting him. (44P)

 

 

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まわりの友人たちのそうゆう配慮ではある、とシェリルは気づいてはいたんだ。

 

 

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これは、人生の逆境に直面しているシェリルに対する友人たちの率直な気持ちだと思います。

しかし、このような態度が逆にシェリルを傷つけていると気づくのはなかなか難しいと思うんです。

 

 

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そうですよね…。

 

 

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ただ「尋ねない」のにはやはりもう一つ理由があって、無意識のうちに自分の側がそのことに触れたくない、話題にしたくないと感じているということもあると思います。

 

 

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うんうん、同感してしまってこちらが辛くなるのを避ける感じでしょうか。

 

 

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そうかも知れませんね…

一方で悲しみの中のシェリルはこう語りかけてきます。

「とてつもない苦しみを味わった人でさえ、その体験を語りたがることが多い」Even people who have endured the worst suffering often want to talk about it. (44P)

 

「『生存者は筆舌に尽くしがたい体験をしたからこそ、それを伝える機会がほしい、敬遠されたくないと思っているの』」" In my experience, survivors want the opportunity to teach and not be shunned because they went through something unknowable," (45P)

 

 

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聴いてほしいのですよね。

 

 

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苦しみを味わうと、もう二度とそのことは思い出したくないのかと思ってしまいます。

しかし実際は違っていて、その体験を語りたがったり伝える機会がほしいと思ったりするんですね。

 

 

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あっ、カウンセリングもそうゆうことだったりする…

 

 

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自分ひとりで抱え込むのは大変だったり、誰かに話して言語化することで思いが解放できたり、苦しみを訴えてねぎらってもらったりするような、誰かと共有したいという思いが強いということでしょうか。

 

 そして次はこちらです。

「つらい話題を避けることが、相手の気持ちを慮(おもんばか)ることになるとは限らない」Avoiding feelngs isn't the same as protecting feelings. (45P)

 

 

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僕なんかはだれか相手をつかまえて「ちょっと聴いてよ、あのね…」って勝手にしゃべり始めそうです。

 

 

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例えば、同じ職場の同僚が髪を短く切ってそれが全然似合ってなかったとしたら、私はそれを同僚には伝えません。

本人は気に入っているかもしれないし、私のセンスが他の人と違っていて私には似合っていないように見えるけど、実は世間的には似合っているのかもしれないので何も言いません。

 

 

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うん、うん。

 

 

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ところが世の中には非常にオープンな性格の人がいて、こういう場合でも「〇〇さん、髪切ったんスか?でも全然似合ってませんよ!」と声に出してしまう人もいます。

 

 

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そうゆう人って背中をたたきながら言っちゃったりしますよね!!

 

 

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こういう人は世間的には「空気の読めない人」と思われてしまいますよね。

なので多くの人はなるべく無難にやり過ごそうと思いってコメントしなかったり、「いいんじゃないですか~」など差し障りのないことを言うケースが多いと思います。

 

 しかしそうではない、ということですよね。

 髪型の例ではなくて本当に苦しんでいる場合は、スルーするよりも多少その話題に触れてあげて語れる機会を作ってあげるほうが良いということなんですね。

 

私もこれまでは完全にスルー型でした。

日本語には「そっとしておく」という便利な言葉があって、実際は余計なリスクを避けるためなのにそっとしておく方が思いやりがあるような言い訳をして、スルーすることを正当化していました。

 

 

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たしかに…「あいつは今、つらい時期なのだから、そっとしておいてやろうぜ」って言ってたかもしれません。

 

 

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ですよね…なので私はとても考えさせられました。

さて、次回は第3章に入っていきますよ!

 

 

【おまけの旭川クイズ】

 

前回まで実施していた「旭川インスタ映え八景」が早くもネタ切れのため、今回は「旭川ラーメンクイズ」をやってお茶を濁そうと思います。

 

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こちらのラーメンは、どこのラーメンでしょうか?

ビフォーアフター形式でお送りしますね!